2:34 AM

踊ることが好きです

memo

自分より、相当恵まれた環境で育ったであろう人と知り合った。

お金持ちとか恵まれた容姿の人間は性格が悪いっていうのは、中途半端な人のことを指しているか、どっちにもなれない人間はそう思うことで救われた気になっているんだろうな、と思った。

 

今の私には、思わず感情的になってしまう対象がいくつかある。

自分が努力して克服したことに対して、努力もなしに嘆いて被害者面している人に憤ってしまう。タダでなんでも欲しがるな、ということなんだと思う。

だけど、そういった無理にする努力を強いられてきたことがない人は、色んな人に対して寛容であり、よくも悪くも踏み込まないで流せるんだなあということを学んだ。それが育ちの良さからくる品というものなのかもしれない。

 

私には、落ち込んでしまうと開いてしまう心の中の引き出しがある。

その引き出しの中には、家族に向き合ってもらえなかった記憶と、その記憶から自分自身を自ら消費して過ごしていた日々のことが沢山詰まっている。

他人が羨ましく見えた時、自分の生活に不満がある時、いつもその引き出しを開いてしま。それは、きっと自分の人生の言い訳にしているんだと思う。

未だに、私が今までの人生の中で一番努力したことが、その地獄から抜け出すことだったから。

そして考える。それがなければもっとほかのことで努力ができていた?

 

幸い、今の私は家族から離れて暮らしていて、連絡も返せると思った時だけ返している。そして、私は今まで自分が色んな疑問を感じてきた母国から出て、見たかった世界に飛び込んだ。

やっと、私はなにかのロールから抜け出して私として人と知り合える場所に来れたと思った。

 

そしたら、急に気が付いたのだ。自分になにもないことに。

なにかの被害者じゃなくなった自分には、何の才能も特技も資格も学歴もなかった。

自分の好きなものさえ、自分でよくわからないのだ。

やりたいことがわからない、と言えているだけきっと恵まれていて、昔の自分と比べてもとっても幸せな毎日だとは思う。私は私の人生は好きだし、私の周りにいてくれる人たちのことをほんとうに最高だと思っている。

 

ただ、なにかの被害者や可哀想な存在でいたときの怒りや負の強い感情以外での、自分の人生との向き合い方がよくわからない。難しい。

 

 

何年後になるのか全然わからないけれど、いつか、自分の好きなこととか、楽しいと思えるようなことをして自分の人生をつくりたい。

なにかから逃げるとか、克服するとか、そういうことじゃない毎日を、いつか過ごせる日が来ますように。